FLASHBACK 1993①〜Being

1990年代のJ-POPは、○○系といった、ある一定のグループにまとめられた系統の歌及びアーティストが大量生産され、それらがチャートを支配していました。とにかくCDがよく売れた時代でしたが、その中でも特に売れる系統の中でも一際目立つグループがあり、こと1993年に関しては、「Being系」と呼ばれるグループが猛威を振るった年でした。それは、今ではあまり考えられないような、実体不明のユニットが多数存在する系統でした!その中でも当時人気の高かったBeing系アーティストを列記すると・・・
B'z,TUBE,T-BOLAN,ZARD,WANDS,DEEN,FIELD OF VIEW,大黒摩季
といったあたりがチャートの上位によく顔を出していました。その他、数え切れない程のよく似た名前のアーティストが続々・・・ZARDが出たかと思えば「BAAD」が出てきて「スラムダンク」の主題歌を1曲出して消えていったり、ZARDWANDSの合作となった「果てしない夢を※1」には、ZYYGとかREVといったまだCD出してないのにいきなり出てきたバンドがあったり、出番は多いが結局鳴かず飛ばずだった女版B'z「MANISH」とか・・・今その名を聞いたら思わず笑えるようなラインナップ!しかもたいていがヴォーカル以外はあまり知られることもなく、作詞はヴォーカルの人がするが作曲はたいていが織田哲郎!(※2) Being系作家陣に印税を上手く流すシステムが出来上がっていた(!?)。しかもたいていは正体不明のグループばかりで、PVに至っては、「スタジオ内でヴォーカルの人が歌っているレコーディング風景」と、「ジャケット写真のスライド」のみで構成されるものの見事なワンパターン!この動きのないPVを、当時のカウントダウンTVで何度見せられたことか。(※3) しかもアルバムのリリースはたいてい予定日から1ヶ月近く延期になるなど、ある意味事務所にやりたい放題にやられたような時代でした。おまけにそのほとんどが正体不明!特にZARDのそれは多くのファンをじれったい思いにさせていました。坂井泉水が元レースクイーンということもあり、よけいに「実物を見たい!」という思いに駆り立てたのでしょう。しかし本物がファンの前に姿を表すまで、実に6年の歳月を要さなければなりませんでした。しかも、本来はバンドで、ちゃんとした固定メンバーもいたはずのZARDがいつの間にか「坂井泉水を中心とした変幻自在のユニット」といったT.M.Revolutionのような存在になっていたり、WANDSに至っては、何と主要メンバーがすり替えられる!(※4)といった信じられない出来事がその4年後に起こったり・・・結局ライブが実現した組はごくわずかで、たいていが「謎の存在」のまま終わっていくという、今思えば何とも奇妙なアーティスト集団がチャートを席巻していたのでした。
但し、Beingのフラッグシップともいうべき存在のB'zや、長いキャリアを持ち「夏の代名詞」ともなったTUBEだけは、存在がはっきりしていてライブ活動などの「表に出る」活動をしっかりこなしていました!この辺だけは、やはり別格だったのでしょうか?
とはいえ、この1993年は不況の時代を反映してか、影のある曲がよく売れるような感じがしました。例えば、問題作ともいえるドラマ「高校教師」の主題歌、森田童子の「僕達の失敗」や、ある悲しいエピソードを歌にし、しかも同じエピソードで何と第12章まで作った(!)というTHE 虎舞竜の「ロード」(※5)など、地の底まで突き落とされそうなネガティブな歌が流行るという奇妙な時代だったと思います(※6)。この「影多き集団?」、Being系がヒットしたのもそういった時代の流れだったのでしょうか?とはいえ、そんなWANDST-BOLANなんかのCDをリリース日をだまされながらも買い続け、何回も聴いていた当時の僕・・・。今でも彼らのヒット曲を聴くと、1993年の思い出が鮮明に蘇ってきます!何だかんだ言っても、その当時は好んでよく聴いていた、良くも悪くも一時代を作った音楽史に残る集団、それがBeingだったのかもしれません。

最後まで読んでいただきましてありがとうございました。次回は・・・いつの時代の、どんなムーブメントを取り上げるのか、じっくり考えてみたいと思います。
 
※1.この曲の話題は、ZARDWANDSの夢の合作、というよりも、「長嶋茂雄(監督)が歌ってる!」という点にありました!あれから10年後・・・生き残ったのはZARD長嶋茂雄
※2.他にも、栗林誠一郎とか川島だりあとか・・・だいたい同じ人が曲を作っていました。自分で作曲できるバンドはほんの一部。しかしそれは全て大物でした!
※3.Being系専門番組「NO」という5分番組が当時オンエアされていました。例のPVが中心の構成で、「ここだけでしか見れないアーティストの最新情報」といいながら、その内容は「ヴォーカルの○○の朝食はチーズ蒸しパン」などといったどうでもいいものが大半を占めていた!
※4.主要メンバーの上杉昇柴崎浩が「事務所を独立する」とBeing系所属事務所の社長に申し出たところ、「じゃあ誰がこのWANDSという名前をつけたと思ってるんだ!」と、そのバンド名を剥奪したところからメンバーすり替えという事態に発展したそうです。その後、メンバーが変わったWANDSは、事務所内からも、「ニセワンズ」と揶揄され、結局いつの間にかWANDSは消滅(事務所ではこれを「解体」と呼んでいた)してしまいました。
※5.本当に第12章まで全てリリースされているのでしょうか?
※6.そんな影ある曲がチャートを占める1993年だが、その年のNo1ソングはCHAGE&ASKAの「YAH YAH YAH」。影なんかない、爽快でアップテンポな曲が頂点に立ったことは救いか?